人物

中西麻耶|過去の成績や経歴は?事故の真相や結婚・子供も調査!

2019年11月、パラ陸上のドバイ世界選手権大会にて金メダルを獲得した中西麻耶選手。

 

中西選手は、高校時代ソフトテニス部でインターハイに出場するなどその才能を遺憾なく発揮していましたが、21歳の時 仕事中の事故で右足を失い、失意の中「義足」と出会いました。

 

それでは、事故の経緯や詳しい成績は本文にてご説明していきたいと思います。

 

題して【中西麻耶|過去の成績や経歴は?事故の真相や結婚・子供も調査!】早速まいりましょう!

 

中西麻耶|過去の成績や経歴は?

パラ陸上の中西麻耶選手は、パラリンピック3大会連続出場。

 

走り幅跳び(T64クラス=下腿義足使用)で、5m51のアジア記録を持ちます。

 

それでは、競技を始めてからの成績(主に世界大会)をまとめました。 

 

中西麻耶|過去の成績

▼2007年3月

義肢装具士・臼井二美男氏と出会い陸上競技を始める。

 

▼2007年10月

100m・200mにて日本記録を樹立 

 

▼2008年
北京大会パラリンピック初出場

  • 100m:6位入賞
  • 200m:4位入賞

北京パラリンピック後、アメリカのアル・ジョイナー氏(ロサンゼルス五輪三段跳び金メダリスト)が、2012年まで中西選手のコーチを務めました。

コーチのすすめで走り幅跳びを始めました。

 

▼2009年9月
ジャパン パラリンピック

  • 走り幅跳び:日本記録樹立

 

▼2012年冬

夏のロンドン大会を前にして、競技の活動資金や義足購入資金が足りず、競技資金が足りず、それらの資金を集める為にセミヌードカレンダーを製作。

カレンダーの1ページ目には、中西選手の心の声が記されていました。

「Who wants to dress me?(誰が私を着飾ってくれるの?)」

 

この時の中西選手は、極限まで体を絞っており、なんと体脂肪率が一桁台と女子アスリートとしては驚異的な数字。

腹筋はシックスパック、腕周りも2008年北京大会から比べると大きく膨らんでいましたね。

 

▼2012年
パラリンピック ロンドン大会

  • T44 100m 14秒47:予選敗退
  • T44 200m 30秒10:予選敗退
  • 走り幅跳び 4m79:8位入賞

今大会を最後に引退を表明しました。

 

▼2013年3月8日

再開した自身のブログにで現役続行を表明

 

▼2016年
第27回日本パラ陸上競技選手権大会

  • 100m 13秒90
  • 走り幅跳び 5m51㎝:優勝

本大会にて、自己の持つ日本記録・アジア記録を更新

▼2016年
パラリンピック リオジャネイロ大会

  • T44100m 14秒40:予選敗退
  • F44走り幅跳び 5m42:4位入賞

あと一歩でメダルでしたが、悔しい結果になりました。

 

▼2017年
パラ陸上世界選手権ロンドン大会

  • 走り幅跳び 5m:銅メダル

競技としっかり向き合い突き進んできた中西選手。

見事銅メダルに輝きました。

 

▼2018年
ジャカルタ アジアパラ大会

  • 100m 14秒48
  • 走り幅跳び 5m44:優勝

 

▼2019年
ドバイ 世界パラ陸上選手権大会

  • 走り幅跳び 5m37:優勝

 

2020年東京パラリンピックでは6m越えの世界記録での優勝を掲げている中西選手。

 

1つの集大成になるであろう東京パラリンピックでは、きっと想像をはるかに上回る跳躍を見せてくれるのではないでしょうか。

 

次に、中西麻耶選手のプロフィールと経歴をみていきましょう!

 

中西麻耶|プロフィール

名前:中西麻耶(なかにし・まや)

生年月日:1985年6月3日

出身地:大分県由布市

出身高校:明豊高等学校

身長:158㎝

所属:JEB ENTERTAINMENT

日本記録・アジア記録保持者

中西麻耶公式Instagramはコチラ

中西麻耶公式Twitterはコチラ

 

中西麻耶|経歴

中西麻耶選手は大分県由布市出身で、1985年6月3日生まれの現在34歳。

 

大分県別府市にある明豊高等学校在学中に、ソフトテニス選手としてインターハイ(全国高等学校総合体育大会)・国民体育大会に出場経験あり。

 

2004年3月、高校卒業後は進学せず就職。

 

競技を続ける為に、働きながらも体力維持が出来るようにと「塗装工」になりました。

 

そして、2008年に開催される「チャレンジ!おおいた国体」への出場を目指し練習の日々。

 

ですが、2006年9月に仕事中の事故で右足の膝から下を切断することに。(詳細は後術します)

 

  • 温存療法を行うか?
  • 切断するか?

 

の選択肢しかなかったようですが、中西選手の選択は切断でした。

 

「おおいた国体に間に合わせたい」という理由で、ご両親の猛反対がありながらも意思を貫き切断となりました。

 

スポーツに明け暮れていた中西選手にって、右足を失ったことは人生最大の挫折。

 

想像を絶する苦難でした。

 

中西選手は、初めて義足を履いた時、もっと元の状態に戻れるものと思ていたようです。

 

義足を履くということはサポーターを付けて競技するようなもの、その程度に思っていたため、健常者の大会に復帰するつもり満々だたそうです。

 

当時、中西選手の周りに義足の人は一人もいませんでした。

 

義足でテニス国体強化チームの練習に出た所、相手が生涯のある自分に手加減をし甘い球を返してきたそう。 

 

義足で昔のフットワークとてもできないと思った時、人の薦めにより陸上を始めました。

 

そんな中、義肢装具士・臼井二美男氏と出会いその後の競技人生がスタートします。

 

その後のご活躍は前述した通りです。

中西麻耶|事故の真相や結婚・子供も調査!

まずは、中西麻耶選手の右足を切断することになった事故の真相について見ていきます。

 

中西麻耶|事故の真相

事故は、ソフトテニスの国体代表を決める大会の2日前におきました。

 

いつも通り工場内で作業していましたな中西選手。

 

作業中に突然、5mの鉄骨が崩れて右足に直撃し潰れてしまいました。

 

当時21歳でした。

 

痛いというよりただ熱いという感触だったようで、のちに「痛みを越えるとこういう感覚になるのか」と思ったそう。

 

神経までやられて痛いという感覚が鈍くなっていたとのこと。

 

鉄骨崩壊により膝や足首がグチャグチャになり、骨が飛び出して粉々になっていた複雑骨折。 

 

病院に救急車で運びこまれた時、救急処置のために着ていた作業服を切り取って患部を見た看護師の「うわっ!」とう言葉を失った言葉を今でも忘れられないとお話しされていました。

 

あまりの重傷でその病院では手に負えず、大分市内の病院に搬送されました。

 

そこで、医師から処置方針として提案されたのが、

  • 膝から下の足を切断する
  • 足を残していくことを目指す温存療法を行う

 

そして、中西選手が選択したのは切断でした。

 

普通の人なら温存療法を目指す事と思います。

 

ですが、中西選手の気持ちは国体出場に向いていたため「どうやったら早くスポーツ界に復帰できるか」という視点が第一優先。

 

中西選手は医師に訪ねました。

「温存療法はどのくらいかかりますか?」と。

 

分断した骨や神経・筋肉をひとつづつ繋いでいく治療は最低でも2~3年の入院が必要。

 

もし順調に回復したとしても100%の体重を支えられるところまでの回復は無理だろうというのが石の判断でした。

 

中西選手はもう一度尋ねました。

「義足になってもスポーツは続けられますか?」

 

医師は、「可能性はあるが、相当な努力が必要になるでしょう」と。

 

そして、中西選手は事故の起きたその日に切断することを決断しました。 

 

中西麻耶|結婚・子供

中西選手はご結婚されていません。

 

また、彼氏がいるというような情報もありません。

 

やはり今は東京オリンピックに向けて、競技一筋なのではないでしょうか。

 

次に、子供についてです。

 

子供(娘)

中西選手には「娘」と呼んで大切にしている子供がいます。 

 

そのカワイイ「娘」さんは、中西選手が飼っているペットのワンちゃんでした!

 

かわいい写真が沢山ありましたので目の保養にどうぞ!

この投稿をInstagramで見る

娘よ、鼻水を拭きなさい。 #黒ラブ #鼻水トッテ

Maya Nakanishi(@mayanakanishi)がシェアした投稿 –

まとめ

今回【中西麻耶|過去の成績や経歴は?事故の真相や結婚・子供も調査!】はいかがでしたでしょうか。

 

中西選手が現在掲げている目標は以下です。

  • 走り幅跳びで6m飛ぶこと
  • パラの大会に身内じゃない人を沢山つれ連れて行きたい
  • 障害を持った人が、スポーツだけじゃなく、それ以外の場所でも輝ける場所を切り開きたい

 

東京パラリンピック代表内定の切符を掴んだ中西選手。

 

日本記録・アジア記録保持者として挑む東京オリンピックでは悔いのない跳躍をしてほしいと切に願います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました!